さわがしい静(しづ)の日記

20代後半から看護師めざす人の自由な日記。自作小説はイタいかも。

無理に男にも女にもならない

 

自分は「性同一性障害(ftm)もしくは中性(ftx)だ」と思って子供時代を過ごしてきた。

転機は22~23才の頃。いろいろ訳あって、体の性別のほうに適応して楽になりたいと思うようになった。

それまでずっと考えてきた改名ももう考えないんだ! 普通の人になってやる! って覚悟を決めた。とにかく普通の人になりたかった。

女の服装だったり、それが無理ならせめて男女兼用の服装だったり、そういうのをやってた。

 

でもいろんな試みがうまくいかなかった。メイクなんてしているとふっと意識が途切れそうだった。

最近の自分は自分じゃない……と思った。

 

別にどこにも戸籍なんて提出する予定はないのだし、改名なり性別変更なりしてもバレやしない。だったらもう好きにしてもいいのでは!? と吹っ切れた。

誰も自分の人生なんて見ちゃいなさそうだし。

 

吹っ切れた反動なのか、それまでの女として適応する努力の残骸なのか、はたまた中性(ftx)が本当のところだったのか、どれなのかは分からないが、

それからは性別違和が自分の中の大きなウエイトを占めなくなった。自分にはジェンダーどうこう以外のたくさんの要素があるって気づいた。

前のような「ホルモン注射早くしたい!!」の欲もなくなった。たまにその波は来るけど。

もしかしたら今までトラウマ的な影響もあったのかもしれないし……わからないけど。

 

「もう自由にしよう」と吹っ切れたのだ。

性同一性障害とはこういうものだ、典型的にはこうするべきものだ、という枠すらも抜けて、ただ自分の思うままの在り方でいたいと思うようになった。

メイクをして意識が飛びそうになるなんてこともなくなってきた。憧れの神主の代わりに巫女をやることにだって抵抗はなくなった。

その上で、自分本来の心を守れるようになってきた。

もう無理して女の服は着ない。無理してどうこうしない。無理して女になることも無理して男になることもしない。

 

吹っ切れて自由な心境になれたおかげもあり、戸籍上の改名もできた。(改名については性別の他にも理由はあったけど)

新しい名前を見て「あぁ、こうすることを我慢してきたんだなぁ……」と思うと少しひやっとした。